こんにちは、ブレリア大好き、みのもはるかです。今日のテーマはフィエスタで踊るブレリアの、出だしについて。
フラメンコショーを観に行くと、大抵の場合は各踊り手さんのソロがあり。最後に「フィン・デ・フィエスタ・ポル・ブレリア」を全員で踊って終わり、というパターンが一般的です。これはスペインでも同じ。
ただ一点、日本のフラメンコシーンで私がどうしても気になる事があります。それは
最初のジャマーダ・・・!!
です。
タイトルにも付けましたが、本当によく見かけるこの手法、アリかナシか。
結論から言いますと、わたし的には「この風習を日本フラメンコ界から無くしたいほど、ナシ」です。
ジャマーダで踊り始めることほどナンセンスな事はない
具体的にはこういうこと。
歌の無いところで出てくる➝ジャマーダ(1,2,3〜)➝抜けたところで歌が入る
このモデルを100%の真実だと信じて踊っている人、結構多いのではないでしょうか。
しかし残念ながら、ブレリアのお作法ではこれは☓です、、なぜなら
フィエスタにおいては歌が先行
するからです。
私たち(踊り手)が歌を要求するのではなく、
歌があるところに私たちがお邪魔する
のです。ここを勘違いしているというか、知らない人が本当に多いと思います。そして恐ろしいことに、やる側も見る側も、これに慣れてしまっている。
「歌を聴け」が常識だと言いつつも実際には聴かないという矛盾
「フラメンコは歌が大事」に異論のある人ってひとりも居ないと思います。「私、踊りながらなかなか歌を聴けなくて」という悩み、しょっちゅう耳にします。では歌を聴くって一体何なんでしょうか。
レマーテを入れるタイミングを図るため?
長さ?(←結局タイミング?)
もちろん大事だと思いますが、もっと初歩的なこともあるんじゃないでしょうか。例えば
「歌に耳を澄ませる」
「(その結果として)自分自身が感動する」
歌を聴くのは自分が踊っているときだけでしょうか?
自分が踊り出すためにも、歌の力を借りるべきだと思います。歌を聴いていると、インスピレーションが湧く瞬間(そうでなくとも、何かを感じる瞬間)があります。そこで初めて、体って動くのではないでしょうか。
歌が欲しいときはジャマーダ!という先入観
そもそもジャマーダって何でしょうか。
直訳すると「llamada=呼ぶこと」です。呼びたいことのひとつに、歌、はもちろん入っていると思います。踊り手が「次の局面で歌を頂戴」という意思表示のためにジャマーダを使います。その意味では、ブレリアの踊り始め、まずジャマーダをすることはおかしい事ではない。ように見えます。
が!
フィエスタにおいて「歌が欲しい」以外の選択肢ってないですよね。まさかエスコビージャが始まるわけでもなし。歌い手は言われなくても歌うんです。
今まさに歌おうとしている人に対して「歌ってください」なんて、わざわざ言う必要はないですよね。
となると踊り手の考えるべきことは「歌を尊重しながら、どうやって踊り始めるか」だと思うんです。
「出だし」だけでも無限のバリエーションがある!
良いアルティスタほど「どのように踊り始めるか」にこだわっていると思います。中には誰も予期しない絶妙なタイミングで輪の中に入り、出だしだけでOleの声援を浴びてしまうような人だっています。(ファルキートとか。本当にかっこいい!)
かっこよくなくても、静かに自然にマルカールで踊り始めるとか。人とちょっと違うにはどうしたらいいか、とか。今なら、この「出だし」がいかに難しいかがよく理解できます。
私自身がそうでしたが、フラメンコを始めて4-5年経っても「フィエスタのブレリア」を習ったことはありませんでした。技はおろか「お作法」すら知らずに舞台のフィン・デ・フィエスタも踊ってました・・・自信もなく、踊るのがいつも怖かったです。
お教室では「振付」を教えてくれても「フィエスタのブレリア」を学ぶことはできませんでした。こんな思いを抱えてる人って、少なくないのではないでしょうか。私はスペインで、それこそフィエスタの場に混ぜてもらえたことで「本当はこうあるべきなんだ!」という事がたくさん学べました。
スペインに行けなくても「これでいいのかな」と疑問を持ち、知ろうとすることはできます。そこまで興味がない人もいるでしょうが真にフラメンコを追求したいなら。もっとフラメンコのあるべき姿を尊重するべきなんだと思います。
このテーマに関して、私の意見は「ジャマーダで始めるブレリア」➝ナシ!!
読んでくださりありがとうございました!
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