こんにちは、フラメンコ踊り手みのもはるかです。ブレリア好き。フィエスタ好き。
昨日もブレリアのクラスをしてきました。常々思い知らされますが、ブレリアって、踊るのも、教えるのも、本当に難しいです。今日はそんなブレリアについて書きたいと思います。
*「私はブレリアができる!」的な記事ではなく、あくまでもいち愛好家としての意見です。
ブレリアに必要なのは「自然さ」
もういきなり結論ですが、ブレリアに何がいちばん必要かというと「自然さ」です。
・・・と、私も初めて真のブレリアに触れたときに教わりました。
昨今フラメンコも進化を遂げていて、動きキレッキレの踊り手さんがたくさんいます。派手で目を引きますし、単純に、息を呑むすごさ。
こういうフラメンコに憧れて、みんなこぞってクラスに通います。
結果としてブレリアを踊ると、技はすごいけれどなんだかガツガツした、荒っぽいブレリアになってしまうんです。
フラメンコのために練習したのに、その真髄から遠ざかってしまうなんてすごい皮肉ですよね、、
力を抜いて〜
音楽に体をゆだねて〜
という、普通のことができなくなってしまいます。
ブレリアを踊るのに「踊り手」である必要はない
私もそうですが、フラメンコを「舞踊」として訓練してきた身としては、「力を抜いて自然な動きで踊る」ってすごく難しいです。なのでブレリアを踊るには、まずそこからでした。
今まで習ってきた、身につけてきた「アカデミックな」動きを、捨て去る・・・
ある程度踊れるが故に、パソにばっかり目が行ったり、どのタイミングでジャマーダをかけるか、ばかり気にしてしまう。けれどそういうのが卒なくこなせたところで、oleのひとつももらえないのです。
見た目よく仕上げただけの、中身のカラッポな踊りは、ブレリアではすごくよく分かってしまいます。
そうではなく、自然な動き、自然な感情から繰り出される、シンプルだけどみずみずしい踊り。そこにole!が飛び交うのです。
クラスでも、舞踊経験の長い人ほど苦労をしています。
逆にはじめての人、経験の浅い人のほうが細かいことを気にせず「真に美味しいところ」だけを直感で掴みとり、いきいきと楽しそうに踊ってたりします。
よく舞台のフィンデフィエスタを見ていても、メインの踊り手さんより歌い手、ギタリストのほうが拍手喝采をさらってしまうときがありますよね。
ブレリアを踊るのに、特別訓練された「踊り手」である必要はないのです。
「自然になれる」ことがスタートライン
私にとって「力を抜いて」「もっと自然に!」を気をつけることはもちろん大変な事で時間もかかりましたが、そのあとはとっても気持ちが楽になりました。
「自然でいいんだ」と思えたことで、歌に耳を傾けたり、自分自身がその瞬間を楽しんだりできる気持ちの余裕が、出てきたと思います。(実際に上手く踊れるかは別問題ですが)
ブレリアに必要なことは、
コンパス、ソニケーテ、マルカへ、パタイータの細部へのこだわり、繊細さ、エレガントさ、、
無数にあります。
私もまだまだ出来るようになんてならないですが、「自然であること」の大切さに気づけたことでこの長い【ブレリアロード】を歩くスタート地点に立てたような、そんな気がしています。
フラメンコをやっている人ならば、99%の人はブレリアの踊り方で悩むと思いますが
新しいパソを覚えたり色々インプットするよりも、背負いすぎた荷物をきれいさっぱり捨ててみることのほうが、もしかしたら近道なのでは?と思ったり。
何度も言いますが私もまだまだスタート地点付近です☆
けれどもこの先長い道のりを歩いていくのが楽しみ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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