マヌエル座長のもと行われたアルハムブラでのライブ、とっても楽しかったです。
ソレア、カンティーニャス・デ・ピニーニ、ロマンセ、ソレア・ポル・ブレリア、シギリージャ。今回は曲のバリエーションも豊かだったし、その分まじめな瞬間も楽しい瞬間も、いろんな時間をメンバーと共有できました。
最後のフィン・デ・フィエスタでは会場に遊びに来てくれていたカルロス、パコ、ペペも参加してくれ、その芸達者さを存分に披露してくれました。たぶんこの日いちばんの盛り上がり(笑)
まだまだ感染に要注意な時期ではありますが会場いちばん後ろまでお客様が入ってくださっていて、本当に感謝の思いが溢れました。もしかしたら私にとって年内最後だったかもしれないライブ。これで最後だとしても後悔ないですし、次に向けて日々鍛錬しようという前向きなパワーをたくさんもらいました。
さて、タイトルにもありますが「完璧じゃないのがフラメンコ」、この日も私はミスをしました(笑)
決して楽観的とか自分に甘いとかではないですが。
フラメンコって「隙」とか「人間ぽさ」とかに寛容な芸術です。
私が何をしでかしたかと言いますと、カンティーニャスのエスコビージャ(足打ちメインのパート)で、リズム変化を付ける重要な局面。12拍子というリズムルールの中で踊るという絶対的ルールのなか、拍数を間違えるという超初歩的なミスを犯してしまいました・・・
けれど面白いのが、その瞬間は自分ではミスに気づかなかったということ。
おそらく見てる側もなんの違和感も感じなかったのではないでしょうか。
終わってからビデオを見返し、「?ここ何かおかしい」と、その時やっと気づいたくらいです。
なぜ気が付かないかというと、瞬時にうしろのメンバーが帳尻合わせてくれたからです。
考えるほどの時間もなかったくらいなので、きっとみんな本能的にやってくれたのだと思います。
フラメンコの振付の中には、「踊り手がこういう動きをするときにはこういう局面でしかありえない」というような共通認識が存在します。それは別に習うものでなく、経験する中で自然と培われる、呼吸のようなものです。
とにかく私がカウントを外したにもかかわらず、周りのメンバーも見事にピタッと着いてきてくれたのです。フラメンコは理屈を超えるのだと、なんだか感心してしまいます。
コンチャ・バルガスのクラスを受けていた時、コンチャはよく「Los humanos somos imperfectos. Nos equivocamos. 私らは人間だから不完全だ。間違えることもある」と言っていました。そしてそれは「No pasa nada. なんてことない」とも。
きっとバレエや、フィギュアスケートなんかだと失敗は恥だし致命的なのでしょうが。フラメンコはその点、寛容です。(もちろんミスの度合いにもよりますが)いくらでもリカバリーできるし、むしろその結果さらに大きな「オレ!」が生まれることだってあります。
たしかに、たとえば歌CDを聴いていても、リズムがすごい揺れていたり。ギタリストと歌い手が、きっと「リズム・拍」ではなく「呼吸」でお互いコミュニケーションしてるからでしょう。12拍1小節が、11拍になったって大丈夫な世界です。むしろ呼吸の世界に、無理やり理屈を当てはめたと言ったほうがいいのかも。
というわけで、フラメンコをやる上で「これはこうでないと!」と頭固くいることは、かえってフラメンコのエッセンスを除外してるということに。完全さなんていらないし、間違いすら間違いではない(ことが多い)と考えられると気持ちも楽になります。
とはいえ私がズレたところはその後の展開が面白くなるわけでも何でもないので
しっかり反省します(^^;)
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