11/13(金)マヌエル・デ・ラ・マレーナのカンテコンサートに行ってきました。@西日暮里アルハムブラ
タイトルは"A los que se fueron pal cielo"、日本語にすると「天国へ行ってしまった人たちへ」。
フラメンコでは「この歌を○○に捧げます」と、家族、友達、もしくは亡くなった方への敬意を表して歌われることがよくあります。
世界的パンデミックでたくさんの命が失われている、この世の中に対する嘆きや弔いの気持ちを込めてのテーマでしょう。
(特にこの件についての言及はなかったけど^^;)
会場に集まったのは、ほぼほぼ、見知ったひとたち。そのほとんどが踊り手です。(こういう場で、歌い手、ギタリストはあまり見ません)
踊り手はよく「踊るためには歌を知らないといけない」と口酸っぱく言われます。実際、日本の踊り手さんは勉強熱心です。
マヌエルの最初の挨拶
「自分にとって、フラメンコとはカンテなんだ」
日本でフラメンコといえば専ら踊りですが、歴史を遡るとそのルーツはカンテに行き着きます。
貧しいヒターノ(ジプシー)たちの、日常の楽しみが音楽でした。何もない暮らしを想像すると、ちょっと分かります。何も持ってなくても、歌は歌えますから。そこから、リズムを刻むために楽器を使い出す人や、歌に合わせて踊りだす人が出てきたり。「見世物」としての踊りが定着したのはその後です。
マヌエルはスペイン南部ヘレスという街の、生粋のジプシー家の生まれですから、(その頃にはギターも踊りもあったとはいえ)、小さい頃からカンテに囲まれて育ったことでしょう。「習う」のではなく「生きる」ようにカンテを体得した、私たちからしたらまさに「本物」のフラメンコの人です。
その彼の歌を、日本で、東京で、至近距離で聴けるというのがどんなに特別なことか・・・!
artista(アーティスト)である前にaficionado(愛好家)であれ
という名言(?)の通り
これからも、いち愛好家としてフラメンコを楽しんでいきます🎶
1部
アレグリアス・デ・コルドバ
マラゲーニャ イ グラナイーナ
マリアーナ
ファンダンゴ
2部
ソレア・ポル・ブレリア
タランタ イ カルタヘネーラ
ブレリア
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