先日歌い手の瀧本正信さんが亡くなられました。
瀧本さんと言えば日本フラメンコ界を何十年も牽引してきた方。フラメンコを心から愛し、決して妥協しない、自分にも他人にも厳しい(笑)アンチなど決して気にしない、真のアフィシオンを持った方でした。
見てくれだけのショーフラメンコが嫌いで、カンテを聴いてくれない踊り手が嫌いで、グァヒーラなんて歌いとおないわ、歌わすな、諸々素直に言っちゃう方だから業界内での衝突も多かったという噂はごまんとあって、
でもブレない芯の強さとまっすぐさと、なにより圧倒的なカンテの実力。ソレアにシギリージャ・・・スペイン人顔負けのカンテ・ヒターノを歌う方で
誰もが敬意を抱かずにはいられない、そんな人だったように思います。
瀧本さんを古くから知る人に比べたら私との付き合いはたった10年ほどですが
その10年で私は本当に多くのことを教えてもらいました。
おそらく出会いは、私がスペイン留学から帰国したばかりの頃。踊り手としてまだなんのキャリアも無いぺーぺーの頃。
瀧本さんの歌を聴いて、生意気にも、「こんなにすごいカンテを歌う人が日本に居るんだ!!スペイン人みたい!!」と感動して
自分でライブを企画しては、瀧本にさんにカンテをお願いしていました。
中でもすごく記憶に残っているライブがあります。写真を見たら2015年!!
私はbulería arromanzada(ブレリア・アロマンサーダ)を踊ったんです。コンチャ・バルガスにあこがれて。
当時の私はスペイン人の、あの即興の中で繰り広げられる魔法のようなフラメンコの素晴らしさに痛く感銘を受けていた頃で、即興こそがフラメンコ!!と勘違いしていた頃で(今になって分かりますが)
構成など全く決めずに、歌が来たら踊る、ファルセータが来たら踊る、と言ってリハから共演者の度肝を抜いたわけです。
さんざん暴れまわり、終演後に瀧本さんから言われたひとことが
「あと一年待ったるわ」
でした。(笑)
踊りが気に入らないと気が乗らない、顔に出る、パルマをしてくれない・・・
そんな正直な瀧本さん
ステージ写真を見るとよく分かります^^;
その後も瀧本さんに懐いていた(笑)私、
月一回開催されていたペーニャ(愛好会)にもよく通いました。
瀧本さんのペーニャはとにかく歌です。
瀧本さんは歌だけでなくギターも上手で。シンプルなのにものすごく歌に寄り添った伴奏をしてくれる方で。
私も行く度に歌わせてもらっていました(・・・が、いちども上手いと褒められたことはない。笑)
ひとりずつカンテソロを歌いあげていき、それもストイックに歌い続けるのではなく、頻繁に雑談タイムが入ります。
(この雑談タイムが私は大好きでした)
「フラメンコは遊ばなあかん」
「カンテは裏拍をとらなあかん」
「はるかちゃん、バチャ族(バチャバチャと足音うるさく踊る人)になるなよ」
「はるかちゃん、ショーガールになるなよ」
「歌の練習せえよ」
あとは毎年行くへレスの話なんかもよくしてくれました。
「公園でギター弾いてたらなぁ、勝手に誰か歌いにくんねん。勝手にフィエスタ始まるねん。それがものすごく楽しいんや」
「この人に歌習いたいと思たらなぁ、まずは強引に自分が歌って聴かせるんや。ちょっと下手に。
no está bien(良くない)て言わせたらこっちのもんや。じゃあcómo?(どうやるの)おしえて?て言えるし。noて言ったからには相手には教える義務が生じるねん」
踊りも歌も「よかったでぇ!」と言ってくれることはなかったですが
瀧本さんが唯一私にかけてくれた褒め言葉?が
「はるかちゃんは華があるなあ」
でした。
(実力は無いけどナ、、ていう皮肉・・・^^; ではないですよねぇ瀧本さん)
ことあるごとに言ってくれたし、嘘やお世辞を言わない人なので
きっと本当にそう思ってくれいたのだと思います。
ここ数年はライブでの共演がなかったですが
私の心の中には、次に瀧本さんに歌ってもらう時には
「はるかちゃんいい踊り手になったなぁ」
って言ってもらいたいという気持ち、いつも持っていました。
上達するには1年じゃ全然たりなかったです、ごめんなさい瀧本さん。
歌も怠けず練習します。
いつか瀧本さんに、実力も華もある踊り手だと言ってもらえるようになりますから。
本当にありがとうございました
コメントをお書きください